いずれのときに

基本的にネタバレあります y.nozaki000@gmail.com

ギィ・ジル、『反復された不在』Guy Gilles.Absences répétées.(1972)アンスティチュ・フランセ東京

ギィ・ジル、『反復された不在』Guy Gilles.Absences répétées.(1972)アンスティチュ・フランセ東京

《ギィ・ジル特集》『反復された不在』


軽々しく使いたくない言葉だが、美しかった。何にここまで心惹かれたのだろう、また観たいという感情すら湧かない程に、惹きつけられてしまった。粗筋を書こうと思えば簡潔に書き表せるが、そのようにしてはこの揺れが損なわれるであろう事を恐れ、つらつらと綴ることにする。

ジャンヌ・モローの声が、作品全体に宿っている。」

上記のジュリアン・ジェスティールの言葉にある通り、映像の至る所にその歌声が垣間見える。作品として描かれていない部分には、単なる伝聞でしかなく鑑賞体験の外部での出来事のため言及はしたくないのだが、それにしてもこの評は見事である。
また、登場人物の関係性が不明瞭で、この作品以前に物語世界内でなにか重要な出来事が起こっていた事が強く示唆されており、原作小説の一部を切り取ったかのような描かれ方なのだが、"キャラクターの関係性"も"主人公フランソワ・ノレの過去に何があったか"も些事でしかない。
このように、作品では無く作家本人の物語と、物語内世界で描かれなかった物語という、二重の外部を持っており、まさにこれらの"痕跡"が、作品全体に宿っているのだ。このような構造は虚構においては決して珍しい事では無いのだが、1972年という時代性も相まって、作品全体を覆う"痕跡"こそがこの作品の魅力のように思う。

 

この映画は「人生はポエムだ」という言葉で始まり、「人生はポエムじゃなかった」という言葉で終わる。
いかようにも解釈は可能だが、韻文と散文、同時に"声"という観点から考えてみたい。

ジャンヌ・モローの歌詞や、作品内で映し出される手書きのテクスト、またフランソワの心内表現など、詩的と呼ばれるような言葉が散りばめられ、キャラクター同士の会話もペダンチックで抽象的である。端的に言って、何を伝えようとしているのかが明確では無く、行為そのものを目的化したような会話が耳を撫でる。

散文を”他者に伝える事を第一義とした形式”と表現すればお叱りを受けようが、韻文とは形式そのものが目的であり、業務的な伝達を韻文で制作する者は少ないという比較は有効だろう。(だからこそ、韻文でこそより伝わりうるものもある)
「人生はポエムだ」、この台詞を発したフランソワは他者を強く求めるがゆえに常に孤独であり、一方で「人生はポエムじゃなかった」という台詞を残したギィは、物語を締めくくる役割を担う事となる。

言論と活動は、このユニークな差異性を明らかにする。そして、人間は、言論と活動を通じて、単に互いに『異なるもの』という次元を超えて抜きん出ようとする。つまり言論と活動は、人間が、物理的な対象としてではなく、人間として、相互に現れる様式である。

Arendt,Hannah,1958,『Vita activa oder vom tätigen Leben』(= 1994,清水速雄訳『人間の条件』筑摩書房.)

アレントの引用を踏まえれば、ヒトが社会的存在である人間たるためには上記のような他者との了解を必要とする。「秘密とは、理解させられなかった事だ」というフランソワの言葉にもある通り、人生をポエムとするフランソウは了解を基準とする相互行為の失調が示されている。
また、"声"という観点からも同様の事が言えるだろう。冒頭にジャンヌ・モローの声を引いたが、フランソワにとっての声とは内なる声を指し、心内表現という形をとった思考や、あるいは映し出されるテクストもそうだ。人がエクリチュールを読むという事は、"自分の声”を聞いているのだ。
思考の辿る旅は我々が想像するように明晰なものではない。言葉たちがその場所を押しのけ合い、ようやく椅子に座ったかと思えば全て削除される事も少なくない。他者への伝達の必要性が無い情報は(そもそも情報ですら無いのだが)、いつだって"秘密"という形式をとるのだ。

 

ではなぜフランソワは詩的言語を選択するのだろうか。作品冒頭、勤め先である銀行から repeated absences を理由に解雇される。そこで上階から下方を見下ろすノレの目線の先には、規則的に並ぶデスクで機械的に働く人々がはっきりと切り取られていた。
また、フランソワの性的嗜好バイセクシャルであり、かつポリアモリーの傾向も見られ、また少年愛という嗜好を持つ事も関係しているだろう。労働も性的嗜好も、1972年のフランスという時代背景を考慮に入れる必要があるだろう。

労働はともかくとして、愛の形は現代においても、むしろ現代だからこそ複雑な様相を呈しており、愛というものを最小限の言葉で表現するのであれば、「今生きているわたし」であり、それは出生ではなく育児を指す。他者の保護下に無い状態で幼少期をやり過ごす事は困難で、そしてだからこそフランソワは未成熟な少年に自己の姿を重ね、そこに愛の残照をかろうじて見出すのである。

労働から、また恋愛活動という領域からも疎外される。誰のものかもわからない目元がクローズアップされた、視線のカットが反復される。
これには逝去したと思われる友人たちを指し、彼らの目に僕たちはどのように映るのかという言葉を受けて発された、「死者の瞳に僕たちは映らない」という言葉が対句となるだろう。全てを拒絶するフランソワにとっては自分以外が死者であり、また自分こそが死者である。

 

徹底して孤独であった、フランソワ。 

パリから逃避しようとするフランソワとの会話の中で、ギィは恋人に対して「逃げる人間を愛したら、どうすればいいと思う?」と問いかける。彼女は少し悩んで

「窓と扉を開けておくわ」

 という言葉を贈る。



 

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これは演劇ではない 青年団リンク キュイ『プライベート』/あと雑感

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 これは演劇ではない、青年団リンク キュイ『プライベート』、駒場アゴラ。

 

 非常に興味深かったので、感想と連想されたことについて書く。

 開演とともにアフタートークが始まる。それまで薄暗い舞台上でスマートフォンを操作し、時に談笑し、音響装置から流れる人の話し声に反応を示していた役者たちが、始まりを告げる”終演の合図”とともに立ち上がり、客席へ向かい挨拶を始める。

 観客がそれを拍手で迎え入れたのがなんとも印象的で、役者が戯曲家の綾門や演出家の橋本として演じ、アフタートークのようなものが行われるのだが、そのキャラクターが複数のアクターにより演じられ、何人もの綾門、橋下が舞台上に表れる。(ここで客席から質問が飛んだ事もあったそうだ)

 壊れたビデオテープを再生するかのように重なり混ざる言葉、同一の内容を再生するはずが、個々の語りのスピードに差異がある。舞台上には複数の「綾門」、複数の「橋本」が現れ、恣意的に舞台についての思いの語りを積み上げていく。

 

 そのまま稽古初日の顔合わせへと時間は遡行し、そこから出来事を再構成するかのような演出が取られ、稽古を欠席した者は、その日どこで何をしていたか、あるいは稽古場の様子を推測し描写する。「稽古を再現する」という枠組みの中で「正しい再現」と同時に推測という「曖昧な再現」が描かれる。もちろんこの枠組みをとり払えば、正しい再現という見立ても取り外されるが。

 キュイは今回初めて見たのだが、青年団リンク キュイ『プライベート』が出来るまでの記録を演劇にした”ような”作品、という表現は、正しくはないだろうが、少なくとも全く異なるという事はないように思う。

 

 終盤に差し掛かり、稽古場で劇作家の綾門に扮した役者から、「タイトルをプライベートではなく、パブリックに変更します」と伝えられる。

 結局この変更は有耶無耶のまま進んだとも描写されるが(そもそも、『これは演劇ではない』というプログラムの規定で、タイトル変更が認められてなかったのだろう)、こちら側としても観劇中にずっと考えていた事だった。

 そもそも上演はパブリックな行為だ。プライベートになり得ようはずがない。だからこそ題材として面白い。

「プライベートではなにをされいるのですか?そう問われると、今以外の状態全般についてがプライベートになる。他の人からそう問われれば、その状態以外がプライベートになる」

 このような趣旨の言葉が述べられたが、劇中に抱いていた疑問のようなものが端的に表された一節だったように思う。(原文は確認していない。曖昧な記憶のため、かなり異なるとは思う。)

 一般に、このような文脈で用いられるプライベートとは、仕事とそれ以外という区分けで、仕事以外を指す場合が多いのだろう。学生の身としては、劇中に語られる状況に近く、日常の中で公私の区分けを意識する事はほとんど無い。プライベートでは本を読んだりしており、それ以外でも本を読んだりしている。(学生という身分は公的なものだが、その属性が身体から切り離される事は殆ど無い)

 役者というのも、学生の日常的な意識と近しい感覚を共有しているのかもしれない。ではそれ以外の企業に所属する人にとっては、

「プライベートではなにをされているのか?」

という質問は、果たしていまだに有効なのだろうか。

 

 労働に関する意識調査を見れば、労働へのネガティブなイメージを持つ者は多く、この場合は労働を切り離すための公私の区分は有効で、「プライベートを充足させるための労働」という意識が想定されるように思う。

 しかし、ネット上で散見される「新しい労働」の形、とりわけ労働を労働と捉えず、クリエイティヴな活動としての経済行為といった枠組みを好んで用いる層はどうだろう。仕事と仕事以外という区分をそもそも必要としない、そのような振る舞いをネット上で発信し、既に一定以上の影響力を彼らは持っているように思う。

 この潮流は、パブリックと名指されるような公的な空間を想起する事が困難な状況をも作り出すのではないだろうか。上記の「新しい労働」の形は、日本の企業組織の家族的経営のもたらした労働体系の負の側面の否定により支持されている。技術の変化は消費者の変化を促進させ、当然の帰結として労働の在り方の改変も望まれる。無駄な情報のやりとりなく、即時即決で仕事を進められる裁量が欲しいという、そのような意味では真っ当な欲求であり、全面的にかは分からないが、この潮流は続くだろう。

 ビジネスの形が変われば、生活も変わる。従来の企業組織は労働を通して、生活の形も規定していた。終身雇用で家族を養い、女性に家の事を任せる。また、同一企業の仲間、あるいは類似の組織文化を持つ者達、それらの総体として、一つの公共が想像されていた、という事だ。

 「新しい労働」の形が働き方を変革させるという事は、企業組織により副次的にもたらされた公共を瓦解させていく事を意味する。それは歓迎すべき事ではあるが、代替品が無いという別の問題も浮き上がる。

 

 観劇中に抱いていた大きな関心ごとの一つは、このようなパブリックなものを想像する事が難しい状況、それが近年、より増大している事だった。

  題名にある『プライベート』とは、上演を準備/本番という二項で考える際に、本来ならば表に出る事の無い準備、つまりは稽古風景と解釈出来る。

 電車内での化粧に人が違和感を抱くのだとしたら、その本質もここにある。装いを準備/本番と区分けし、準備段階を見せ付けられる。自分ではない者の為の本番に向けた準備であり、感受性の強い者は名も知らぬその人から疎外された気分を味わうのだろう。

 この疎外から回復する為に、人はわざわざ”公共”という概念を持ち出して批判を展開する。この場合、公共概念は、共有空間での親密では無い他者との規範という意味合いで用いられるが、その根拠となるものはなんなのだろうか。

 先に上げた労働の形式の変化は、原因ではなく状況を促進させる一つの結果に過ぎない。公共について考えるには、その空間になんらかの形で所属する構成員について考えること、社会について考えることにも通じる。

国民は(イメージとして心の中に)想像されたものである。というのは、いかに小さな国民であろうと、これを構成する人々は、その大多数の同胞を知ることも、会うことも、あるいはかれらについて聞くこともなく、それでいてなお、ひとりひとりの心の中には、共同の聖餐(コミュニオン)のイメージが生きているからである。

 ベネディクト・アンダーソンは『想像の共同体』の中で上記のように述べた。日本人ならば、に対応する必要条件はなんだろう。そもそもこの問い自体が現代では無意味だろう。また、SNSでの面識の無い人たちの情報に触れる際、顔の見えない同胞の一意見を、無意識に全面化してしまうような事は無いだろうか。Twitterのタイムラインを一つの”社会”として認識してしまうことは多くの危険を孕んでいる。確かにそれは人々の生の声ではあるのだが、意見の偏りを持った者ほど情報を発信するし、またすべての情報は偏っている。

 開演前のスマホ操作は上記を示唆している、と言うと流石に深読みし過ぎだが、観劇中また終演後も、『プライベート』を通して、公共とはなんだろうという問いを抱え続けている。

 

 話を演劇に戻す。稽古場の再現という体裁を取った『プライベート』は、ドキュメンタリー作品の”ような”演劇とも言えるだろう。

 そもそも演劇においてドキュメンタリーは可能なのだろうか。

 ドキュメンタリーが出来事の中立的な記録を指向するのであれば、不適切だろう。単に記録するのであれば他の媒体の方が適当であり、また映したものをそのまま再生する事が出来るという点も、中立性を担保しうる。この場合のドキュメンタリーは、創作が反対概念として措定されている。

 また舞台上にて様々な要素を用いを上演する事は、作為的、あるいは無意識で何かを選び、そしてなにかを捨てる事に他ならない。ここで中立性を謳う事は不可能となってしまう。

 ではドキュメンタリーは演劇では不可能なのだろうか。

 そうとは言い切れない。ドキュメンタリーが客観的ではあり得ない、むしろ極度に主観的なものから構成されていると、森達也なら述べるだろうし、マイケル・ムーアや想田和弘もそうだろう。題材選びから撮影、編集に至るまで、人の意思が介在しない事の方が少ない。この場合のドキュメンタリーは報道(に期待される機能)が反対概念だろう。 

 中立/客観的な報道などありえないという声もあるが、ここからは価値や認識の話になり大いに脱線し、筆者の手には追えないので、ここで一先ず区切る。ただし、この”価値”や”認識”こそがドキュメンタリーを考える上で重要な点ではるように思う。

 創作と報道、二つの反対概念を持つドキュメンタリーの本質とはなんだろうか

 それは、記録としてなんらかの形で再生が可能な事だろう。重要なことは、そこで"なに"が記録されており、そして"なに"が再生されるのか、だ。

 早回しや多重露光を連想させる演出は、このような再生というイメージと合致しており、更に再生の失敗を想起させるものだった。これにより虚構性が強調されたように思う。決定的なのは、実際の稽古風景とされる映像が流され続け、演出の橋本清が一定の距離を持ちながらも舞台上でなにかを演じ続けていた事だろう。(そこで語られる極度に個人的な事柄の強度も注目に値するが、もののついで触れるには気が引け、ただでさえ字数が偉いことになっているので今回は触れられない。)

 そしてこの虚構性は、「これは演劇ではない」という企画名に返って来る。劇団は”演劇”を作り、そして観客はそれを観に来ているだけで、虚構か事実かという事はそもそも問題とされていないのだ。

 

 パブリックな舞台を通して『プライベート』と題された演劇を再生する。ここに虚構と事実、また私的な事柄と公的な事柄が入り混じり、また公私の区分では図りえない個人的な嗜好が挿入される。法的あるいは社会的に"侵害"される個人の権利が、舞台上だが枠組みの外から到来し、観客に耳を塞がせるという演出を持ち、二度目の終劇を迎える。

 演劇を観ながら、舞台の外の出来事について思いを巡らせる観劇体験だった。

地点、『忘れる日本人』。サンプル、『ブリッジ』。dumptype、『S/N』。

2017/7/24

地点、『忘れる日本人』に見られる境界線について

 

「夜の暗さに人間が耐えられるのは、あちこちに星の光や電灯の灯があるからではない。やがて朝が来ることを、信じることができるからだ」

 

 現代演劇の潮流の起源を、1960年代の小劇場を中心としたアングラ演劇に見たとしても、その時代背景、そこにある生々しい社会、それとの関わりを考慮にいれずしてそれを語る事は不可能であろう。演劇と社会は不可分にある、これは自明のようで実は演劇の強烈な特性であるように思う。

 それは現前する身体の呪縛性のようなもので、仮に古代ギリシアに由来する古典作品を演じようとも、上演する時代に生きる役者の身体性、また観客の身体的知覚を切り離す事は出来ず、「オリジナルの忠実なる再現」はそれだけで一つのテーマになりうる。

 今回の試論では社会との密接な関わりを前提とし、現代社会に生きる劇作家の作品を論ずる。ここで問題とする視点は《内と外》、または《境界線》である。

 

 2017年4月にKAAT神奈川芸術劇場で上演した地点の『忘れる日本人』について論じる。地点と云えば、イェリネクやマヤコフスキーチェーホフブレヒトなどの戯曲を大胆に再構成して、発語と独自の身体表現で演劇空間を作り出す作風と言えば、少なくとも間違いではないだろう。昨年末の大隈講堂で行われた『ロミオとジュリエット』は、演劇未体験の学生たちに大きな衝撃を与えた。

「私たちの見知ったロミジュリではない」「意味がわからなかった」

 そのような感想に触れるたび、「劇場とは作品について議論する場所である」と説いた平田オリザの言葉を思い出す。演劇とは事件である。消費社会の主力商品であったウェルメイドな物語に触れる姿勢を、まず問うているのである。

 『忘れる日本人』は新進作家による新作戯曲である。タイトルが持つ磁力も相まって、この同時代性を見落とすわけにはいかない。

 舞台装置は、陳腐なビニール紐で舞台の境界線を大きく囲み、その中央に手の込んだ木組みの木造船が置かれている。その木造船の下から、胸元に日の丸を付けた7人の「日本人」が這い出てきて、物語が始まる。すり足[i]で身体を左右に振りながら、バラバラにされたテクストを独特な発語で空間に響かせ、時折皆で「わっしょい」とリズミカルに唄う。

 中盤の演出で指摘すべき所は二点あり、まずはビニール紐の境界についてである。断片的な台詞が紡がれ舞台が展開されていく途上、先に指摘したビニール紐は舞台の境界ではなく、「なんらかの境界」である事が明かされる。その境界を飛び越えると水中を思わせる音響が鳴り、身体は水の中で漂うクラゲのような振る舞いを演じ、他の役者によって境界線の“内側”へと引き戻される事によって劇へと復帰する。

 もう一点は胸元に貼られた日の丸についてである。突如脈絡もなくそれが外されて、また一人、また一人と日の丸を外し、そしてそのまま木造船に貼り付けられる。彼らの衣装は、サラリーマンであったり漁師であったり、あるいは沖縄の民族衣装のようなものであった点も読解の鍵となろう。つまり、“日本人的のもの”の表象である。

 終盤で、とうとうその木造船が動きだす。役者たちが神輿に見立てて担ごうとするのだ。しかし、7人の役者の配置の偏りの為にうまく持ち上がらない。そのまま1人の役者が重い木造船の下敷きになり、悲鳴を上げ、慌ててスタッフが助力に入り、更にそれでも足りずに客席へと助力を乞うと言った筋書きである。その後複数人の観客の力を借りて、見事日本国旗が貼られた神輿は担がれ、「わっしょい」の掛け声と共に右へ右へと舞台上を旋回し大団円を迎える。

 

 考えるべき要素は二点ある。一つは何が担がれていたのか/国旗が貼られた木造船は何に見立てられていたのかという点、もう一つは作品の中にあった二重の境界線だ。

 担がれていた日の丸の貼られた木造船は、我々が背負う“日本人的なもの”を指示しているのではなかろうか。貼り付けられた国旗は、一見すると国籍を破棄したようにも解釈出来る。しかし、作中で最も印象に残った言葉に、「繰り返さないが、一年後には、忘れないに変わっていた」というものがあった。水中を漂うような演出を絡めると、あの震災を想起せぬ日本人がどれだけの数が居ようか。そして、その記憶とどのように折り合いを付けようか。一人一人が胸に抱くのではなく、一つのメモリアルな象徴として“皆”で背負う、すなわち“日本人的なもの”を担保する歴史だったのではないだろうか。[ii]

 となると、たんに国籍を破棄しているのではなく、国民性といったような象徴的な何かを、皆で協力して担ぐのだ。そしてここですり足にも意味が回帰する。すり足とは重いもの複数人で運ぶ時に見られる、特徴的な動作なのである。

 皆で背負うnationの象徴として神輿、しかしもう一つの問題がここにはある。ここでいう「皆」とは全てを意味しない。ここで意味するのは、境界の内側に居る「皆」にすぎない。そして、この「皆」は境界の外側に排斥された他者を作り出すものである。その他者から見て、そこで背負われた歴史が必ずしも好ましいものとは限らない、そんな問題がここにはある。

 二重の境界線は、一方では外に出る事が出来ない境界としてのビニール紐であり、もう一方に客席と舞台の間に設けられた第四の壁である。この第四の壁が物理的に破られる事によって、物語の目的であった木造船の出航は成功するのだが、これはあくまで舞台上での筋書きに観客が乗ったに過ぎない。地点という劇団だからなし得た、ただそれだけに過ぎない。協力し共に木造船を担ぐ観客と、そもそもその種の観客参加型の演劇を拒否するような観客、またどちらでも無く静観する観客と言った幾つかの層に客席が分断される。ここでの三浦の主張は、境界を打ち破って境界なき世界をコスモポリタニズムの精神で皆で生きようといったものでは決して無いだろう。

 

 話を敷衍する為に、現代社会について概説する。

 グローバリズムの流れは一部の先進国に富をもたらし、不均衡ながらも経済的にはそれなしには成り立たぬ”世界”が作り出された。世界恐慌後のブロック経済が大戦への前史だとすれば、それを避ける為に経済的な基盤で世界/先進国を拘束する事は道理にかなっていると言える。しかし、先進諸国だけを見ても、その綻びは大きい。イギリスのEU離脱、トランプ大統領の誕生など、枚挙に暇がない。このような流れはひとえに、アンチグローバリズムの潮流、また自国民の利益を守る事を優先する思想と言える。[iii]つまり、世界を内外に分けて内側の結束を強めようというものだ。そしてそれは、外側を排斥する事とほぼ同義と考えて良い。カール・シュミットの友敵理論が近年再注目された事もその証左と言えるだろう。

 

 上記のような問題意識を持ち、三浦基が演出を手掛けたのは明らかであろう。そうすると、日本国旗の強い記号性も異彩を放ち、外部を受け入れながらもその共通善を前提として受け入れぬ者へは開かれた扉はかえって排斥の力学を持つように機能する。

 一緒に神輿を担ごうよ、これを戦前の大東亜思想、八紘一宇の思想に還元するのは飛躍だとしても、非常に示唆的な演出ではある。地点が提示した舞台に共感を示さない者には、そもそもその扉が開かれてはいないのだ。

 

 この公演の二ヶ月後、同様にKAAT神奈川芸術劇場で上演されたサンプルの『ブリッジ』にも、同様の問題意識が見受けられる。[iv]

 紙幅の都合で内容を簡素に要約するが、新興宗教の教団の十周年記念式典で活動を振り返っていた所、過去に性犯罪で捕まった元信者が帰ってきて、改めて教団に入れて欲しいと懇願、許可するも、後述する理由で他の女性信者が教祖を刺殺するといった筋書きである。

 刺殺の動機となったのは、「元信者を教祖の息子、擬似的な親子関係にすれば再犯しないのでは」という提案を教祖が受け、「自身とは教義により夫婦になってくれなかったのに、元信者とは特別な関係になるのか」という女性信者の嫉妬に由来する。ここにも、宗教共同体の中にもう一つ、家族的関係という境界線が見られる。そもそも宗教共同体が家族であり、そこにもう一つの線を引くのは更に内外を作る事を意味し、その女性信者には矛盾に映るのだ。

 観客は十周年記念式典の参加者として、舞台上の役者から再三に渡り語りかけられる。そして、元信者もその客席の側から登場し、刺殺された教祖は退場時「やっぱここに線引かないとダメか」と、嘆き終劇を迎える。

 ここでも明確に境界線が引かれている。宗教共同体という強い集団性を持つ空間で、和やかなムードで進みながらも、外部からやってきた元信者によりその秩序が撹乱され、内部の理論が破壊されるのである。

 

 同時期に上演された同時代の作家による作品に共通して見られる境界線の質的な違い、三浦は境界線を国家のboundaryに見立て、一方で松井は共同体の境界線と、更に家族という線引きを用いた。そして、外側=つまり客席からやってくる存在が、一方で助け舟でありかつ賛同者(そしてその裏に非賛同者を浮かび上がらせるもの)であり、もう一方ではそのまま破滅を齎す使者であった。

 

 このような問題点をかつて指摘した作品として、dumb typeの『S/N』を思い出さざるを得ない。性別、国境、恐怖が消える事を夢見る、その音が今尚強く響いている事は、20年かけても変わらぬ現状への嘆きであり、かつ終わる事のない反省をそれでもなお諦めないという意思の叫びとも読み取れる。演劇に固有の表現、演劇性を背負う二人がこの文脈を見落としているとは到底考えられない。

 思えば、地点での日の丸は可視化された記号であった。Japanese、male、female、homosexual、HIV+、そしてPeopleと言ったような。

 Signalの象徴性、社会で優位となり駆動するコードは、その成員として押し付けられた要件を積極的に否定する者にとってはNoiseとして表れ、暴力的に精神を蝕むであろう。

 そもそも、舞台とは鋭利な内外の区別の上に成り立つものなのだ。そうでなければ、舞台上に人が入り乱れプログラムの遂行が不可能となってしまう。

 しかし、だからこそそれを打ち破る術も、演劇は内包している。それを映画や文学は持つことが出来ない。前文に挙げた、現前する身体の呪縛性を思い出して頂きたい。

 なにも舞台へとなだれ込めと主張している訳ではない。舞台上の今と劇場の今、そして劇場の外の今、これは一つの線で結ばれている。そして、その場所に立つ者たちは、演劇によりもう一つの線で結ばれる。

 線は区別、分断の為だけに結ばれるのではないのだ。

 

 それでも、私は夢見る、あらゆる”境界線”が消える事を。そしてその共鳴を。“私たち”は夢見る、いつか目が覚めてそこに私たちが理想とした世界が広がっている事を。夢の世界=虚構へと逃げ込むのでは無い。その虚構が現実を蝕み転倒させる、劇作家が見た夢とはそれを指すのではないだろうか。そしてその場所に、それに共鳴する観客が生まれる事を。

 

 

 

[i] 地点は、身体行為の反復→解放による快感という図式を頻繁に用いている。これは太田省吾の水の駅に見られる把手の壊れた水道の緊張→弛緩に相似している。三浦は過去に太田省吾のテキストを戯曲化している。

[ii] 作中繰り返された「わっしょい」という言葉はの語源を「和を背負う」に見ても良いだろう。

[iii] 都民ファーストの会が歴史的大勝利を遂げた国に恐怖しか覚えない。そしてそれは国民ファーストとなるのだろう。

[iv] 三浦基と松井周、ここでは論じないが岡田利規も皆1970年代前半の生まれである。6月のチェルフィッチュの公演も、震災が直で関わる作品であり、部屋の内部で進む時間と、外部との対比が見られた。

観劇記について(仮)

 試験的に観劇の記録をつけようと思う。当然、観た中で書きたいものについてしか書かない。言うまでも無いが、そこに優劣はなく、整理が追いつかず言語化出来ない場合もあるし、好みではなくとも自身の思考の手助けになるものもあろう。

 

 余談だが、媒体に固有の特性というものについて考える事が多い。演劇にのみ絞れば、再演可能性というものがあるだろう。再演とはすなわち、古典の再解釈である。映像のようにたんに再生するわけではなく、現代に即し新たな命を与えるのである。

 もう一点が、ベンヤミンのいうアウラのようなものだろう。ここでは、現前性としようか。重要な事は、いまここで行われるとは、他のどの時間軸、空間でも行われないという事である。ゆえに、演劇の映像化の価値は資料的な意味でしかありえない。

 であるならば、このような感想記も演劇の特性と言えるのではないだろうか。小説や映画や音楽であるならそのまま作品に触れるのが最も良いだろう。しかし、演劇ではそうはいかない。上演には様々な制約があるのだ。いまここで行われた舞台を残すのは、劇団ではなく観劇者にあるのではなかろうか、そのようなもやを形に、あるいは晴らすために、といったところが経緯のようなものである。

早稲田大学演劇研究会『大人のふりをするように』

=早大劇研企画公演= 『大人のふりをするように』 -作・演出 青根智紗- 《4月20日(木)〜4月23日(日)》 予約▶︎ “いるようでいらないもの、埋めた。”

 

 二人芝居と銘打って行われたが、登場人物は二人ではない。物語を展開する役回りは四席、その中の二つの役割を二人の役者がそれぞれ演じたに過ぎない。演じる役者が居ない役割には、何故配役が振られなかったのか、またどのようにして物語の場面に彼らを現出させるのか。

 早稲田大学の演劇サークル、主要なものを六大演劇サークルと呼ぶそうだが、劇団木霊と、演劇研究会の二つは小屋持ちと分類されている。それは、大隈講堂の裏手に稽古用かつ上演用の施設を独自に持っている事に由来する。今回はそこでの観劇となった。

 見下ろす形で客席が組まれ、舞台は下部の机や棚などが設けられた生活空間と、上部の鉄骨で組まれた簡素な空間の二つに分かれており、要所で上部の空間が様々な形で用いられる。

 

 話の筋は兄と妹、二人のテンポの良い掛け合いが特徴的な会話劇で、何処か過剰なまでに仲の良さが強調されている。テストの点数などの他愛の無い会話がなされ、タイムカプセルにそれは埋め、六年後に開けようと約束し、そしてそのまま六年の時が過ぎる。六年後、兄は就職活動の真っ只中、妹は大学受験に備えて、変わらずに仲の良いままの会話劇が続行されるが、先ほど指摘した過剰さが実は不穏さであった事が徐々に描かれていく。

 役者不在の父と母、それが残された主要な役回りである。演じられるのは兄弟ではあるが、この話は破綻した家族の物語なのである。親から見放され顔を合わせれば小言ばかり突き刺される兄と、親の期待を一身に受け選択の自由を剥奪された妹。例えば、兄が居ない中で三人で寿司を食したり、妹は総合大学への進学を望みながらも医大への進学を半ば強要されていたりする。可愛がられる子とそうでない子、この必然性は描写されないが、ときに摩擦が生じながらもそれでも兄弟は共に進む。

 そして、この父母との対話を兄あるいは妹は、客席の方を向きながら行う。一人芝居では頻繁に見られる、想像上の相手とのダイアローグ(の体裁で行われる一人語り)。使い古された家族のすれ違いの話で、その内容は容易に不在の父あるいは母の返答を補完出来てしまう。この『出来てしまう事』と、そしてそれが客席に向かい行われている事、これが終盤の演出効果への布石となる。

 

 終盤、父親と娘の近親相姦が明かされる。もしこの劇に瑕疵があるとすればこの部分である。そこまでする必要があったのか、物語の展開上の疑問が最後まで残った。扱われるテーマが過激である事は問題では無い、そして表現においては原則何を表現しても良いのだが、必然性が感じられないのだ。それが過激であればあるほど、丁寧に扱わねば作品に悪性のしこりのようなものが残り、歯がゆく思う。

 しかし、もっとも魅力的な場面もここであった。先に舞台の構成や客席の方を向く対話について述べたが、この事件は父親の部屋のドアを開ける兄により発見される。役者不在の父は我々観客席の側におり、兄はこちら側の扉を開ける。妹もこちら側で惰性的な情事を行っている最中であるのだが、その妹が舞台の上部の空間で煙草を吹かしているのだ。

 観客席からみるフレームとしての平面的な舞台が二分割され、煙草を吸う妹、かたや父との情事に暮れる妹を発見する兄という場面が演出される。これは、舞台上の時間のズレである。今まで単線的に過去から未来へと進んでいただけに、この演出が、演劇に固有の表現として強く印象に残り、この場面だけでも観れてよかったと筆を運び契機となるほどであった。

 物語はそれでは終わらない。

 この家から出よう、破綻した家族を棄てて、仲の良い兄弟として二人で生きていこう。二人はそう決意する。新たな門出を祝して、昔のようにタイムカプセルを埋めよう。外が嵐であっても構わない。大きな黒いゴミ袋を持って、雨の中外へと出かける。(劇場の舞台上に大量の水、雨を模したものが落とされていた事も追記しておく)

 その後暗転、ラジオで夫婦のバラバラ死体が発見した事が告げられる。明点すると、顔面が血で染められ虚ろな目をした兄弟が現れ終幕となる。

 

 この演出に、まんまとやられた。身の毛がよだった。それは絵面や内容ではなく、客席側に執拗に語りかけて兄弟の眼差しによるものであろう。演じる彼らの視界に、我々観客は移ってないだろう。しかし、眼差しには架空の父母同様に我々が映っている。欠如した会話を父母の側に立ち補完していた我々は、そのまま惨殺される父母に置換されるのだ。

 この二点より、大変興味深い舞台であった。

地点 『忘れる日本人』 kaat神奈川芸術劇場

地点『忘れる日本人』

THE JAPANESE, WHO FORGET

 

処女戯曲『みちゆき』でAAF戯曲賞を受賞し、

彗星のごとくあらわれた俊英

松原俊太郎の最新作にして大作、

『忘れる日本人』にKAAT×地点が挑む! 

椅子のない部屋、出口の封鎖された公園、坂の真ん中の我が家−−−−

外へ逃れることが決してできない三つの場所、三つの時間

いつものポピュリズム、こんにちは全体主義、世界同時多発(する)愚劣、ああイデオロギー……

マジックミラーにぐるりを囲われた糞ったれな今このとき

わたしとあなたのあいだに〈愛〉は可能なのか

黙らない。手離さない。希望なんて言葉では追いつかない。

期待と忘却の織りなすリズムにのれ!

 

 『演劇空間へと足を踏み入れるともうすでに演劇は始まっている』

 地点の舞台を見るといつもそんな事を思う。開演前の注意事項の挨拶や終演後のカーテンコールは日常空間と非日常空間の仕切りとして、ある種の儀式への没入または解放として機能するが、一部の演劇ではそうはいかない。開演と終演の合図を意図的に排除する演出も珍しいものでは無いだろう。

 地点の場合は、その合図を明確に設けてはいるのだが、むしろ日常と演劇という境界を積極的に融解するような印象を受ける。今回の舞台美術は特にそれが顕著であった。

 中央には木造の舟が置かれる。水に浮かぶかはともかく、一目見て分かる頑強な造りでその物質性に劇中での効果に期待を抱くには十分な代物だ。一方で、陳腐なビニール紐で舞台の四方が区切られていた。

 広い空間に傾斜のついた客席があり、その前方にビニール紐と舟がある。厳密に言えば、今回の演劇空間には舞台と客席の明確な境目が存在しない。演者が演じるために使われるであろう空間がおぼろげに指示され、そしてそれを控えめに強調するかのようにビニール紐で区切られているだけだ。そしてその区切りも劇中演者により容易に崩壊させられる。

 陳腐な境界(boundary)を設け、それを苦もなく越境する。越境した先で役者は水中を浮かぶクラゲのように振る舞い、境界の内側へとまた引き戻される。役者の衣裳も、現代日本のサラリーマンや漁師、あるいは南方系の民族衣装など象徴的に配置されていた。そして、彼らはみな胸元に日本の国旗を掲げている。終盤、その国旗を舟へと貼り付け、そしてその舟を「わっしょい」という掛け声をもってして神輿のごとく皆で担ぐのだ。

 今回の演出で最も象徴的であったのは、摺り足である。ことあるごとに摺り足で舞台上を移動するのだが、重いものを持ち運ぶ時の動作のように思えた。われわれは意思に関係なく様々なものを背負い生きている。それは自分が成し負ったものもあれば、気が注げばまとわりついていたコードのようなものでもある。煩わしいと思いながらも、社会/国家で他者とともに生き続ける限りは、不条理であろうと総体の和の承認のためにそのコードを尊重しなければ生きていくことが出来ない。

 それは、大文字の他者/曖昧な一人称複数のわれわれが背負わねばならないものかもしれない。しかし、それをどのように引き受けているのだろうか。今回の表題に直結するような台詞があった。

「繰り返さないと言っていたのに、一年後にはそれが忘れないになった」

 真正面からは背負わない、しかし背負わないわけにはいかない、故に負担の少ない場所でそれを引き受ける中途半端な態度というものがある。そしてそれは誰かに負担を強いているとも言える。

 

 地点、『忘れる日本人』

 舞台上に設けられた越境される陳腐な境界、日本国旗を胸につけたサラリーマンや漁師や民族衣裳を身に纏う人々、その国旗を外して舟に貼り付け、そして結局はその舟を担ぐ。この舞台は国境を持った国家のメタファーであろう。そして、承認無く背負わされる空気/コードの不自由との折り合いをどうつけるかにテンションが置かれる。

 劇中もっともショッキングであった場面は木組みの頑強の舟を役者が持ち上げようとするシーンだろう。配置が一方に偏っていたため舟は斜めに傾いて、負担を一身に請け負った演者の一人が演技を捨てて助けを乞いスタッフが慌てて駆け下りてきてその演者を救出するのだ。神輿の経験がある者であれば分かるだろうが、神輿を担ぐのは重心を誤ると非常に危険な行為である。もっとも、このハプニングは毎公演行われていたそうなので演出なのであろうが。その直後に、七人では持ち上げられないことが明示された舞台は、客席に援助を乞う。そこに十数人の観客/友達が加わり、舟は出航を果たす。

 完全なる忘却は不可能だが、目を外らす事はいくらでも出来るだろう。しかし、それは苦しむ他者から目を背ける事意味する。ではどうすれば良いのだろうか。

 舟と水中、波の音から、わたしたちはまだあの震災を超克出来ていない事を何度も何度も思い出さされる。そしてそれは経験していないはずの戦争の記憶すらも想起させる。完全なる忘却は、不可能であるのだ。

  1. 考察、今日の日本における宗教

 

1、概要

 現代の日本人の宗教観について、戦前の国体として造られた天皇制、その捻れから生まれた新宗教、そしてオウム真理教が生んだ宗教忌避感覚について記載し、今後の日本人の宗教観について論じる。

 

2、国体思想

 日本の宗教を歴史として語る際に、まず何処から語るべきかという問題に躓く。これは「日本という国家の歴史」を考察する上で生じる問題と同質、というより宗教に国家が包含されていた事に起因する。神道における、祭祀を執り行う最高神官たる天皇が、神仏習合という現象の下に仏教を信奉、ないしは取り込んでいく歴史は、はっきりとした線引きを設けぬ、その都度選択可能な渾然一体とした宗教観と考えれば興味深い。だが、現代日本の宗教を考える上では、神仏分離の動きの中で神道から仏教が隔離され混じりけの無い宗教的な何かが生まれた、明治維新での神仏判然令から考えるのが適当であろう。

 補足として記すと、現代においても指摘される渾然一体とした宗教観は、アニミズムに端を発し八百万の神という物語が象徴している。また、文明の発展は自然との対峙にあり、森を切り開き[1]城壁を建設した西洋に対し、草木国土悉皆成仏という思想に表れる、自然とはっきりした境界を持たなかった日本という観点は、当時の被支配者達の宗教観を捉える上では重要な視座である。しかし、ここでは当時の人々を考察する事は余談にしかならないので、割愛する。

 信教の自由が文面上保証された大日本帝国憲法ではあるが、神道は格別の地位にあった事は、1900年に社寺局が神社局と宗教局に別れた事からも明らかであろう。また、神社非宗教論や神社問題を経て、1932年の上智大生靖国神社参拝拒否事件において「参拝は愛国、忠君のためのもの」という公式見解が示され、これは国家神道、つまりは天皇制支配の下での信教の自由を意味する。神道キリスト教などの他宗教と等価ではなく、国家が規定する国民の前提条件なのである。そして、天皇機関説へずれた批判を浴びせる国体明徴運動から、1937年文部省により『国体の本義』が教育機関へと配布された。

 日本の近代化を支えるために造られた国体思想、過剰なる共同性を実現するために擬制として設けられた神聖不可侵なる天皇は、まさに超越性の装置となり、2.26事件から軍部の伸張、太平洋戦争を経て、人間宣言をもって、一応の幕引きを演じる事となる。

 

3、戦後の新宗教の推移

 現人神としての天皇陛下信仰は、玉音放送昭和天皇ダグラス・マッカーサーの会見写真の衝撃から推し量られ、現在でも一般参賀などから多少の影響力を感じる事も出来る。とりわけ、終戦直後の天皇信仰が国民にどれほどまでに根付いていたのかを示す事例として、璽宇と天照皇大神宮教が特筆に値しよう。

 どちらも終戦食後に大きな発展を遂げた宗教団体で、特徴として人間宣言により現人神ではなくなった天皇から、神聖がそれぞれの教祖へと移り宿ったという点に共通性が見られる。そして、どちらも多くの信者を集め、敗戦の傷跡、ひいては現人神たる天皇の欠如を埋める宗教として機能していた事を意味している。

 また、1946年に発刊された柳田國男の『先祖の話』も、天皇神話崩壊後の人々の心理的な補償となり、そしてこれは高度経済成長期の新宗教の勃興へと繋がる。柳田は、地域共同体として農村を挙げ、祖霊を氏神、つまり山の神=田の神として豊穣の祈りを先祖崇拝と結びつけた。ここでの先祖崇拝とは家永続を指し、これは地域永続から日本永続へと容易に読み替えられ、近代日本のイデオロギーへと変換されたものだが、村落共同体における規範意識の形成、維持を説明出来る。しかし、50年代より始まる高度経済成長は人口の大規模移動を促し、農村を基盤とした信仰体系からの分離が進む。伝統的信仰から切り離された都市へ出た人々の孤独を埋めたのが、PL教団天理教創価学会、そしてオウム真理教といった新宗教である。

 1995年の地下鉄サリン事件は、宗教嫌いの日本人を、無宗教有神論者を生んだ。終戦から50年後の出来事であり、神だと信奉していた存在が捏造された物だと知り、そして、とある教団のとある神が、牙を剥き無関係である我々の平和な日常を破壊してしまう危険な存在だったと知った。

 この二つを日本宗教史における事件として捉えると、新宗教(類似宗教)現象がオウム真理教により飽和点に達し、人々を宗教からまた改めて突き放したという点で再帰性を見いだす事が出来る。戦後に破壊され形骸化した天皇制の代替品として隆盛した新宗教は、破滅へと向かう遺伝子を誕生の際に既に孕んでいたのではなかろうか。つまり、自覚的に自らが「天皇である」と名乗りをあげたり、あるいは無自覚に擬制としての敗北した天皇制を母体として誕生しており、その最たる影響が1995年の事件として繰り返されたのだ。[2]振返れば、維新後から大戦に到るまでの天皇制の変化も、複雑怪奇な体制であった。超越者として君臨しているはずの神が、御前会議における発言力の無さを憂う姿も、機関という言葉に過剰な反応を読み取った良識なる学者達の滑稽さも、愛国忠君のために立ち上がったはずの殉国烈士達が浴びたご聖断の皮肉さも、近代化の達成の為に設けられた擬制によるものだ。しかも、国民を非情な兵器とし、国家を一つの擬似的な有機体とするイデオロギーの装置としての天皇制は、今なお形式上残っており個々人に複雑かつ不思議な存在として、憲法上国家、国民統合の象徴とすらされている。ここで指す主権とは誰の事かも定かでは無い。

 今後もこの二つの事件は日本における宗教そのものに、永続敗戦論同様に、亡霊のようについて回り暗い影を落とすだろう。そこで、そもそもの大本であり、この構造上あまりにも歪な存在である、天皇制について、今考えてみたい。

 

4、天皇制の現在

 まず、古来より同様に中国の影響を受け、20世紀にも日本と似た様な挫折と社会発展を経験した韓国社会の宗教と比較してみたい。米国CIA編纂の『The World Factbook』によると、日本のキリスト教人口が1.5%に対して(神道は79.2%、仏教は66.8%とあるように、どのようにデータ収集をしたかは疑問だが、キリスト教徒数の比較という点においてのみ用いる)、2010年の調査によると、韓国のキリスト教人口は31.6%、仏教が22.4%、無宗教は43.3%と示されている。これは、日本において新宗教が埋めた穴を、韓国においてはキリスト教が埋め、これは社会発展における宗教の寄与を示している。

 韓国におけるキリスト教の役割を、終戦直後の日本では新宗教等が果たしたというのは先に述べた通りである。では、元々はそこに座していた超越性の象徴としての天皇は、戦後どのように振る舞ったのだろうか。1945年の神道指令により、国家による神社への干渉は廃止されたものの、天皇自身の信仰についてのいかなる言及もなされなかった。ゆえに、なおも宮中祭祀は執り行われ国家神道の完全なる解体はなされなかったのである。天皇制の継承は戦前の歴史的日本と戦後の日本を容易に同定、というよりも断絶など無かったかのような振る舞いを国民に見せる。近年見られる歴史修正主義もここに端を発し、ドイツが戦中の歴史的ドイツをナチスと置換して客観的な語りを可能にしたのに対し、大日本帝国をも同一化してしまう、国家の象徴として続いてしまったこの制度は、永続敗戦論と言われるような状況を作り出した根源でもある。

 この点における戦後処理は、“天皇個人”の信仰の自由を尊重した、いかにも西洋的な判断と言える。そして典型的なオリエンタリズムであり、日本という国家への理解の欠如とも言えよう。そして、そのような尺度しか持たないGHQの監督のもと1946年の人間宣言を経由し、日本国憲法が公布、1947年に施行される。

 「朕と爾等国民との紐帯」から始まる、いわゆる人間宣言は、国民と“朕”との紐帯について確認した詔書だが、この“紐帯”という文言には“朕”という一人称同様、もはや有効性を感じる事は出来ない。そして、それよりも重要なのが憲法である。第1条、天皇は日本という国家の象徴であり、国民統合の象徴であり、そして、どうやらこの地位は主権者たる日本国民の総意に基づくものであるようだ。国民統合の象徴という文言は憲法改正要綱には見られず、GHQの要請案の中で「人民の統一の象徴」、またこれに基づく改正案として「日本国民統合の標章たる」というやり取りの中で変化していった物で、天皇主権をどのような形式で存続させていくかという点に焦点をあて綴られてゆく上で形成された表現と言えよう。国家の象徴としての天皇は、対外的な象徴としては機能しているように思える。[3]しかし、個々人が国際化の中で客観的に国家=日本を語る際には、腫れぼったく触れがたい、あまり有り難くは無い存在の様に扱われている様に思える。自分探しという、自己の欠如を全肯定する恐ろしい言葉の流行は、大前提である国家による国民の規定が一部機能不全を起こしている事を指しているのではないだろうか。

 問題となるのは、日本国民の総意に基づく地位である。この認識は、当然立場により変化するが、それよりも世代による分類がある程度可能で、2015年公開の橋口亮介監督による『恋人たち』における、平凡な主婦が「皇太子妃雅子様に嬉々として日の丸を振る若かりし日の自分」をVHSで懐古するシーンにおいて描かれる。今上天皇立太子の令や、慣例を破ったテニスコートでの自由恋愛[4]、ミッチーブームは戦後の復興を考察する上で重要ではあるが、現皇太子と現皇太子妃への熱狂は何を意味するのだろうか。恋人たちは現代社会を生きる日本人の絶望を、それでも生きるしかなく、そして生きていけてしまう病的な在り方を描いた作品である。戦後生まれの皇室ファンは、憲法上明示されなかった神聖性をワイドショーから独自に読み込み、そこへ流れ込む非神聖=穢れである雅子妃に自己を投影し、憧憬する。だからここで描かれる平凡な主婦は、作中で少女漫画を描き白馬の王子様を待ち続けるのだ。戦後の皇室ファンが現人神を否定する天皇家に、神聖性を読み取り消費する構造を『恋人たち』は特異な物として描いているのだ。

 また、ネットに慣れ親しんだ若者たちの天皇制への距離感の取り方は更に複雑で、ウヨク、サヨクとの結びつき、レッテル張りを避ける為に、積極的に意見を持たず、twitter上で最も身近な偉い人、いわばネタとして消費されている。[5]

 論壇や文壇における天皇制に関する議論も見られなくなり、三島由紀夫の『文化概念としての天皇』など、隔世の感がある。また、安倍首相による『日本的な物への憧憬』には、右傾化、戦前回帰、はては、日本国民は馬鹿だからこのままだと大日本帝国が復活してアジア諸国へ進軍する様な軍事国家になるという面白可笑しい指摘がなされているが、これはある種、天皇制が無化されていく流れへの反動と、それに対する批判とも読み取れる。

 

 ワイドショーで近代階級社会のパロディとして消費され、あるいはネット上でそのままネタとして消費されている天皇制が、超越性など持ちえない事は言うまでもないだろう。しかし、人は超越的な何かを求める。だが、宗教嫌いな日本人達が他の宗教を代替品として用いる事は困難であり、歪んだ体制が育んだ宗教観を払拭してからでなくては、また悲劇を再演する事になる。

 幸運な事に、現政権は施行以来一切手を加えられなかった憲法改正を志向しており、これを良い機と1条に関する議論を始める事も可能ではないだろうか。それは単純な継承でも、単純な無化でもあってもならない。

 戦後の歪な宗教観を生んだ、なんだかよく分からない天皇制について議論し、その後改めて、美しい国とやらを今改めて作り直しても良いし、終わる事の無い戦後を総括しても良いのである。不思議な国の、不思議な宗教観を、今改めて考える。これが、今後日本人がまず持つべき宗教観である。

 

 

参考文献

島田裕巳『戦後日本の宗教史』 筑摩書房、2015年

橋爪大三郎『世界が分かる宗教社会学入門』 筑摩書房、2001年

衆議院憲法調査会事務局『日本国憲法の制定過程における各種草案の要点』 2000年

 

[1] 創世記には、自然は人間の従属物である旨が記されており、自然支配の人間中心主義が包含されている。

[2] 無論、戦前から続く宗教団体も複数あるが、敗戦の影響を受けてな

[3] 違憲とする立場もあるが、割愛

[4] 当時の宮内庁長官は恋愛の形式が自由恋愛であった事は否定している

[5]天皇さん誕生日おめでとー、あまり絡み無かったけど、これからもよろしくね!」という文言がネット上で反響を呼んだ