いずれのときに

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観劇記について(仮)

 試験的に観劇の記録をつけようと思う。当然、観た中で書きたいものについてしか書かない。言うまでも無いが、そこに優劣はなく、整理が追いつかず言語化出来ない場合もあるし、好みではなくとも自身の思考の手助けになるものもあろう。

 

 余談だが、媒体に固有の特性というものについて考える事が多い。演劇にのみ絞れば、再演可能性というものがあるだろう。再演とはすなわち、古典の再解釈である。映像のようにたんに再生するわけではなく、現代に即し新たな命を与えるのである。

 もう一点が、ベンヤミンのいうアウラのようなものだろう。ここでは、現前性としようか。重要な事は、いまここで行われるとは、他のどの時間軸、空間でも行われないという事である。ゆえに、演劇の映像化の価値は資料的な意味でしかありえない。

 であるならば、このような感想記も演劇の特性と言えるのではないだろうか。小説や映画や音楽であるならそのまま作品に触れるのが最も良いだろう。しかし、演劇ではそうはいかない。上演には様々な制約があるのだ。いまここで行われた舞台を残すのは、劇団ではなく観劇者にあるのではなかろうか、そのようなもやを形に、あるいは晴らすために、といったところが経緯のようなものである。